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斉藤 まゆ

Mayu Saito

[ 略歴 ]
1984年 神奈川県生まれ&育ち
昭和から平成を駆け抜けました。
長~いルーズソックス履いてました。
一番熱狂したのは安室ちゃんとBackstreet boys!
おかげで英語や海外文化が好きになり、訪れた国は30か国以上。
デンマーク留学を経て国際協力の仕事に従事。
現在は、3児の母、心理セラピスト
NPO法人ペアレントBASE-Sagamihara-事務局スタッフ

[ 資格 ]
保育士
JMET認定EFTプラクティショナー
マトリックス・リインプリンティング プラクティショナー

その他、書道や珠算は指導資格持っていますが、忘れました(笑)
心のことについては、まだまだ学びの野望は止まりません!

自分で言うのもなんですが…高学年くらいから典型的な優等生でした。
頑張り屋なのは、きっと持って生まれた気質。
幼い頃から家族にも「根気強い子だね」と言われていました。

おかげで学生時代から就職まで、大きな挫折もなく順調に進みました。
「やりたいこと」にまっすぐ向かい、「これが自分なんだ」と疑いもしませんでした。

最初の違和感は、社会人になってからでした。
本当にやりたかった仕事のはずなのに、なぜか心から楽しめなかったんです。
失敗が怖くて、思い切った行動ができない。
責任を取るのが怖くて、「正解」を探してばかり。
イメージしていた自分ではありませんでした。
この頃から、少しずつ「自分の好き」「やりたいこと」が分からなくなっていきました。

そして、結婚・出産。
結婚生活は幸せなはずなのに、どこかで夫の顔色を伺ってしまう。
義理の両親と実の親を比べて勝手に落ち込んだり。

出産後は、理想の自分と現実の自分のギャップに苦しみ、
自分を責める日々が始まりました。
情報は溢れる一方で、自分にとっての「これでいい」が見つからず、いつも迷子のよう…。
街ゆくお母さんたちがみんなキラキラ見えて、内心いつも焦っていました。

さらには、どれだけ頑張っても自分を認められず、休もうとすると罪悪感。
疲れやイライラがたまると、家族に不機嫌をぶつけていました。
子育てはあらゆる場面で決断も必要ですが、間違うことが怖くてしんどい。
それでも外では「できる自分」を演じて頑張っていたんです。
「 “しんどい” なんて甘えだ」と思い込み、誰かに助けを求めることもできませんでした。

今思えば、「うまくいっていない自分」を人に知られることが心底怖かったのだと思います。

そんな状態が何年も続き、いつもどこかに「このままでいいのかな…」という焦りがありました。

暗く、長いトンネル。
光は一向に見える気配はありませんでした。

「このままの私で人生終わっちゃうのかな」 


そんな得も言われぬ恐怖に何度も襲われました。
でも、同時に、

「絶対にこのままでは終わりたくない」
「子どもたちには同じ思いをしてほしくない」


そんな思いが強くなっていきました。

それまでも本やネットで自己啓発的なことを試していましたが、いよいよ「一人では限界だ」と感じ、人を頼る決意をしました。

そこから少しずつ、自分の感覚を取り戻していきました。
「自分への気付きと理解」が、一つ一つ、心の鎧を外していってくれたのだと思います。

私は、一人っ子として育ち、傍から見たら祖父母や両親からたくさんの愛情を注いでもらっている子どもだったと思います。
実際、そうだったと思います。

でも、幼い頃から続く家庭内不和によって、家の中に「心からの安心」はありませんでした。大袈裟かもしれませんが、小さな私にとってはまるで戦場で身を潜める感覚。
母の感情を自分事のように背負いながら、でも誰の味方もできない無力感や罪悪感。小さな心は耐えきれず、静かに、たくさんのトラウマを抱えました。

“安全基地” を失った私は、気が付くと母に対して完全に心を閉ざしていました。
表面的なコミュニケーションは取れていましたが、自分のことは全く話せなくなり、目を合わせたり、触れることもできなくなりました。
もちろん、あらゆる感情を抑えていました。

そんな中、学校や習い事で成果を出すと母が喜んでくれる――
私の心は密かに「自分がいる意味」をそこに見出したのだと思います。

そこからというもの、私は “外側の条件” や “周囲からの評価” に自分の価値を置いていました。でも、それは土台のない「ハリボテの安心」。
大人になって自立しようとした時に、いとも簡単に崩れ落ちたのには、ちゃんと理由があったんですよね。

自分と向き合う時間は、まるで幼少期に得られなかったものを自分に与え直す時間でした。抑え込んでいた思いや感情に寄り添いながら、数年かけて少しずつ自分を許し、親を許し、「私はこのままで大丈夫なんだ」という安心感を得ていきました。

一番大きな “根っこ” の感情を解放できた時は、思考による理解とはまるで違う、身体中から安心感が湧き上がってくる感覚でした。今まで忘れていた「確かに愛されていた記憶」が走馬灯のように巡ってきたことを強く覚えています。

ずっとずっと「変わりたい」と思っていました。

私じゃない、何者かになりたい。
ならないといけない。

そんな焦りの中で始めた旅路でしたが、今振り返ると、私は「新しい自分に変わった」のではなく、「本来の自然体の自分に戻った」のだと思います。

それは、他人の評価や判断基準を軸に生きてきた私が、自分という“本来の軸”に戻っていくプロセスでした。

少しずつ、世界の見え方、捉え方が変わり始め、「あ、私はもう大丈夫なんだ」という感覚に到達したときの感動は、それはそれは大きなものでした。

今まで悩んでいた事がだんだんと気にならなくなり、日々の言動にも変化が出てきました。

この人生を変えた経験と感動を、同じように悩むお母さんたちに伝えたい。
子どもの心の安心は、お母さんが安心することで守られるのだと、自分のこれまでの人生を通して確信したから。
それこそが、世界の平和の原点だと気付いたから。

しかし、そう簡単には事は運びませんでした。
独学で心理学を学び、自分が辿ってきた道のりをもとにサービスを作り、少しずつ活動を始めたのですが、最初のモニターさんとのセッションでいきなり壁にぶつかりました。

「自分のやり方が通用しない…」

私は、過去の感情を感じることが比較的怖くなく、感情解放のステップがスムーズでした。むしろ癒してあげたい気持ちが強く、積極的に取り組めたんです。
そこで、モニターさんとも感情の吐き出しワークというものを試みました。
ところが、モニターさんは過去の感情を感じることが怖くて辛くて、このワークが機能するどころか、辛さの再体験をさせてしまったのです。

自分が経験したことだけでは、人の心を扱うのには全く不十分であるということを痛感しました。(結局この方は同じ地域にある別のカウンセリングルームをご紹介しました。)

そこから、1年ほどかけてセラピーの理論や技術を学びました。
必要な時に必要な学びに出会えたのは、本当にありがたく不思議な体験でした。

もちろん、どこまで学んでとしても、完璧なセラピストにはなれません。
学びは一生続くと思っているし、続けたいと思っています。
だからこそ、今の自分の最大限で向き合うことが、常に自分にできる唯一のことだと感じています。

強くいなければ――
弱音を吐いたら終わりだ――
そうやって自分を強く守ってきた人ほど、本当は誰かの助けが必要なんだと思います。

私は恵まれた環境で育ちましたし、今では親が精一杯愛してくれていたことも分かっています。

でも、心の奥にあったはずの

「もっと尊重されたい」
「認めてほしい」
「安心していたい」
「私って、いてもいいのかな…」


そんな本音を何度も飲み込んだことで、母との距離とともに、本当の自分との距離も離れていってしまったのだと思います。

「生きづらい」
「なんかしんどい」――

それは決して甘えではなく、あなたの心が「もう気づいて」と伝えているサインです。

ずっと見て見ぬふりをしてきた “弱さ” こそ、あなたの中の大切な一部分です。
だから、もう、恥じることも隠すこともしなくて大丈夫。
一人で頑張ることに限界を感じたら、頼っていいんです。
あなたを受け入れてくれる人が必ず存在します。

私も、そんな存在になると決めた一人です。
あなたの中に眠る「本来の輝きと力」を思い出した時、他の誰のものでもない、
あなたらしさに溢れた人生が再スタートします。

斉藤まゆ